私の目指す町づくり

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安藤 あんどう   ゆたか  プロフィール
昭和27年8月28日
 秋田県雄勝郡羽後町郡山にて誕生 
昭和46年3月31日
 秋田県立大曲農業高等学校卒業
昭和48年3月31日
 北海道拓殖短期大学農業経済科卒業
昭和51年4月1日〜昭和53年3月31日
 秋田県農業近代化ゼミナール連絡協議会会長
昭和59年4月1日〜平成10年12月31日
 羽後町町議会議員初当選(31歳) 以降連続4期当選
 この間、産業建設常任委員長、議会広報編集委員長、副議長を歴任
昭和53年6月1日〜平成11年5月30日
 羽後町消防団班長、部長を歴任
昭和59年4月1日〜平成11年3月31日
 新成スポーツ少年団団長(兼野球部監督)
 平成7年度全日本学童野球秋田県大会優勝
平成11年〜現在
 秋田県議会議院連続4期当選
 この間県議会副議長(平成19年から2年間)、商工労働委員長、会派
 (みらい21など)幹事長など要職を歴任

平成25年2月18日付で県議会議員を辞職し、新たに地元のために活動中です。

安藤豊 幼少期から現在

私が生まれたのは昭和27年8月28日です。
父:廣二、母:敏の間に長男として誕生しました。
大きい赤ちゃんで、健康優良児だったと、両親からは訊いています。

私の生家も今と同じ家です。もちろん改築はしていますが、高校・大学時代以外は、ずっと羽後町の今の家で育ち、生活をしています。
家は代々続く農家で、父はJAの理事などをしている生粋の農業人でした。

兄弟は、弟と妹がいて、幼年期は田んぼを主な遊び場としていました。当時から家が農家だったこともあり、農業が子供のころから生活の一部でした。

泥にまみれて遊びながら、新成小学校、新成中学校を卒業しました。写真は、小学時代の自転車通学時のものです。中学校では野球部に入っていました。今でも、テレビでナイターをよく見ます。小学校中学校時代は、父の教えもあってでしょうか、農家の跡取りになると決めていて、友人の証言によると、小学校のころ「将来の夢は?」と訊かれると、「父の後継ぎとして農業をする」と答えていたそうです。

そういうこともあってか、高校進学も迷わず大曲農業高校へ進みました。
高校時代は3年間下宿生活を送りました。このことは、大変貴重な経験になりました。もともと食べ物に好き嫌いのない私でしたが、下宿生活の中で、今まで以上に何でも食べれるようになり、同級生同士でお互いの下宿を訪ね合いながら、多くの友人たちと親交を持つことが出来ました。下宿というのは不思議なもので、溜まり場になることもしばしばで(笑)そういった高校時代の仲間の一人に、佐藤正一郎元羽後町町長もいました。彼とは、友人であり、同級生であり、そしてお互いに政治の道を志した同士です。今でも佐藤元町長とは、お互いに刺激を受けながら、相談できる良き仲間であります。
写真は、高校時代の学校祭で仮装行列を行ったときのもの、もう一枚は「腹が減っては戦は出来ぬ?」早弁中の写真です(笑)それから、サッカー部に入っていましたので部屋でのユニフォーム姿です。ポジションはセンターフォワード、点を取るのが私の役割でした。
また、高校時代は普通高校の生徒会にあたる農業クラブの役員もしておりました。
高校のときも私は、将来は父の後を継ぎ農業を仕事にすることを考えていました。

高校から大学に進学するときは、少々わがままを通させていただきました。父は高校を卒業後、家に戻ってくることを希望していましたし、私も悩みましたが、進学の意思を通させていただきました。このことは、両親に感謝の言葉が思い当たりません。(北海道拓殖短期大学農業経済科卒業)
二十歳過ぎに地元に戻った私は「農業近代化ゼミナール」に入会します。
ゼミナールで農業問題、社会問題を勉強するうちに、やがて政治活動にも関心を持つようにもなりました。このとき、妻とも知り合っているのですが、この時は結婚するとはもちろん思ってもいませんでした。初めての政治活動の経験は、この頃に地元から選出されていた町議会議員の応援に駆り出されたことでした。応援に行くうちに「おめ演説してみれ」と言われ、やってみると中々上々の評判であり、数をこなすと上手になっていき、そのうちに前説担当(笑)になってしまいました。ちなみに、このときの町議は私の前後援会長で、当時から出会いには恵まれていたんだなあと思います。
実は、妻との見合いを勧めたのも後援会長です。見合いの席上にサンダル履きで現れた私に、妻はけっしていい印象を持たなかったようですが、私のほうが気に入ってしまい(笑)妻は、しぶしぶか同意してか、はたまた運命の糸に手繰り寄せられたのか、めでたく結婚する運びとなりました。今思えば、サンダルではなく革靴を履いていけば、もっとスムーズに結婚できたかもしれません(笑)
開業間もない湯沢ロイヤルホテルで当時珍しかった会費制で披露宴を行いました。

私が議員になったのは、31歳のときです。今でも、31歳の町議というのは珍しいことですが、前述の佐藤元町長は27歳で町議になっていたこともあり、新しい議員を求める地元の方々に、町議会に出馬するよう強く推されたのです。当時結婚してまだまもなく、二人目の子供が妻のお腹の中にいたこともあり、正直かなり迷いました。しかし、地元の方の熱心な推薦を受けることにした私は、妻を説得し、初出馬で初当選をすることが出来ました。今考えると、当時から妻には難儀をかけどおしだったと、感謝しています。
町議は4期15年勤めました。

町議会議員として活動するうちに、町単独ではできることに限界があり、町と県の橋渡し役が必要であると、感じるようになりました。また、この湯沢雄勝地域に閉塞感があり、地元選出議員の世代交代が必要との声も高まっていました。私は、県議会に立候補することを心に決めました。家族も支持者の方もみんな応援をしてくれました。
振り返ってみると、私は家族、後援者の方、友人に恵まれ、今があることを実感します。

趣味 スポーツ観戦、家庭菜園、山歩き、読書

写真は農作業をしている私
田んぼ 3.7ha
他に家庭用として、なす、きゅうり、トマト、さつまいも、じゃがいも、オクラなど

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